きゃべログ

いつかまた。の「いつか」を決めましょう

雑記

2022年度がはじまった。 毎年元旦や4月1日、誕生日。いつも節目となる日には、実態として劇的に何かが大きく変わるわけではないけれど、何かがガラッと変わったような不思議な気持ちになる。変化は漸次的に起きていることは頭で理解しつつも、感覚ではその日を境に大きく動いたような気がする。事実と感覚の間にステップ関数が挟まっているのかもしれない。

2020年春以降、COVID-19の蔓延により、社会一般の動きも、自身の行動もすっかり変わってしまった。終日自宅ですべてが完結し、顔を合わせる人も内容も収斂される。人との関わりはコンビニやスーパーの店員さん、近所に住んでいるであろう人など、個人として認識できる存在でありながらも何も知らないという点では他人というべき人たちばかり。そんな環境にすっかり慣れてしまった。繰り返し、ルーティーン、日常という言葉がピッタリだ。

職場の人とはオンライン上で会議したり、チャットしたり、割としっかりコミュニケーションを取っている。それでもやはり、久々にオフィスで会ったりすると感動の再開をしたような気持ちになる。

個に閉じて、新しいことに取り組むことがすっかり億劫になった。自分なりにアクティブに行動していたつもりでも、片足を軸としてもう片方の足を動かす、バスケットボールでいうところのピボットくらいのことしかしていなかった。結局は自分の頭で考えられる域を出ない。インスパイアされることがいかに重要か。

ふと思い立って、過去の記憶、写真、SNSから関係を辿ってみた。これまで関わってきた人はとてもユニークだとハッとした。ユニークさの性質はそれぞれだけれど、慈愛に満ちていたり、創造的だったり、活動的だったり、何かに深く没頭できたり、自分の知らない道がある。

こんなことを書くと人との関わりに実益を求めているように思われるかもしれないが、そんなことはなくて、楽しい、信頼している、尊敬している、関心があるといった要素が入り混じったものが関係の本質だと思う。実際のところ、人のつながりを人脈、といった言葉で表すのはあまり好きではない。ビジネスライクで、無生物的な響きがする。

ここ最近、結婚式などのイベントで大学時代の先輩・同期・後輩と最近会う機会がちらほらある。年甲斐もなく数年前と同じようなおバカな話をして腹をかかえたかと思えば、時の流れを意識してしまうような変化に気づいてしんみりすることもある。そういうのがいい。

同じアクティブなコミュニティに所属している時にはあまり意識することがないけれど、今の自分を構築しているのはそこでの色んな人との関係性だ。ここ数年、新しい関係性を築くことも、以前からの関係性を大切にすることも、疎かになってしまっていることに気付いた。COVID-19が言い訳になることもその傾向を助長している。そして自分がなんとなく過ごしている間に、知人は、友人は、恩人は、大きな変化を経ている。転居、就職、転職、独立、婚姻、出産。気づけば後輩も、同級生も、塾の教え子もあらゆる面で人生の先輩だ。2年は長くて短い。

物思いに耽る中、あの人はどうしているんだろう。という気持ちが湧き起こる。 SNSで思わぬ関心の重なりに気づいたりして、話したいと思う。会いたいという感情はきっとそういうものだ。

新たに人と繋がることは大切なこと。そしてこれまでの縁を絶やさないことも大切なこと。敢えて会いたくない人と無理に会う必要はないだろうと思うけれど、話したい人には自分から働きかける。相手の事情を気にかけ過ぎる傾向がある自分にとって、唐突であること、久方振りであるという境遇からくる気まずさがないわけではない。とはいえ得られる機会と比較すれば瑣末なこと。

ここ最近、なんとなく霧が掛かっていたような心地がしていた。 しかし新年度、この数年を、半生を振り返って、これまでの人との関わりを思い出して、視界が開けるような、新しいことに取り組めそうな、明るい気持ちになっている。

何卒、keep in touchでお願いします。


きゃべ / Masaya Kurahashi
きゃべ / Masaya Kurahashi
Software Engineer, Product Manager